吉原細見とは
吉原細見とは、江戸時代から出版されていた遊郭案内書のことで、現代で言う「ガイドブック」のようなものです。
吉原細見には、吉原の遊女屋の名前と場所、その抱え遊女の名前と揚げ代(料金)などが詳細に記されており、吉原遊びには欠かせないものでした。
というのも、吉原遊郭にはたくさんの遊女屋や遊女があり、初めて訪れる人でなくとも戸惑ってしまうことが多かったでしょう。そこで、吉原細見を参考に遊女や遊女屋の情報を得ていたのです。
もともと遊郭の手引書としては、遊女の評判が記された「遊女評判記」が出版されていました。1642年(寛永19年)に刊行された「吾妻物語」が、吉原の案内書としての性格が強いため、これが細見のルーツと言われています。
その後、幕府による出版統制により遊女評判記が規制の対象となり、これを回避するために遊女評判記の巻末にあった案内書を独立させたものが細見として定着した、と言われています。
細見の版元と細見売り
吉原細見を発行していた版元(現在でいう出版社)は複数ありましたが、もっとも有名なのは、五十間道の大門に向かって左手に店を構えていた「蔦屋」でしょう。
吉原細見は、「細見売り」と呼ばれる男があちこちに立って売り声をあげ、売りさばいていました。
遊女を買うための男はもちろんのこと、ただ吉原見物しに来ただけの人も記念として買い求めることが多かったといいます。
吉原細見の内容
吉原細見には、郭内の略図・妓楼と遊女名・揚げ代・紋日(料金が倍になる日)・芸者名・茶屋・船宿・遊び方といった吉原遊郭のさまざまな情報が掲載されていました。
妓楼の格と遊女の階級
妓楼の格は、家名(楼主の名前)の上についた合印(あいじるし)で判別しました。出版された時代により異なりますが、例えば安政6年(1859年)の細見(下の写真)では、■は大見世、▲と◑は中見世、◑は小見世と分かります。
また遊女の階級は、山形(∧)と星(●や〇)や四角(□)の組み合わせで示されました。最高級の「呼び出し」は、入り山形(山形2つ)の下に星2つ、「昼三」は入り山形の下に星1つ、入り山形のみは「座敷持ち」、山形は「部屋持ち」、印のないものは振袖新造となっています。
それぞれの揚げ代も明記されており、不当に高い金額を要求されることがないようになっていました。
吉原細見を入手するには?
吉原細見は現在では貴重な資料となっています。
国立国会図書館や大学図書館などで所蔵されているほか、古書店やインターネットオークションなどで購入することも可能です。
また、本記事の画像のように、デジタルアーカイブとしてオンラインで閲覧できるものもあります。
まとめ
この記事では、江戸時代の遊郭ガイドブック「吉原細見」についてまとめてみました。
吉原細見は、当時の遊郭文化を知るための貴重な資料であると同時に、江戸時代の文化や風俗を理解する上でも重要な手がかりを与えてくれる存在です。
遊郭の歴史を知ることは、現代社会における性の商品化や人身売買の問題とも関連しています。過去の遊郭制度がどのように現代の性産業に影響を与えているのかを考察することは、社会的な問題解決に向けた重要な手がかりとなるでしょう。