売れっ子遊女になるには?
遊女が売れっ子になる条件として、「部屋三味線」(寛政年間)は「一に顔、二に床、三に手」をあげています。一番は見た目ですが、二番目は客を悦ばせる行為やテクニック、つまり床上手であること、三番目が泣いてみせたり、拗ねたり、妬いたり、甘えてみたりして客を虜にさせる手練手管のうまさでした。
顔は生まれつきのため変えることはできませんが、床と手は教えて仕込むことができました。そのため、妓楼の女房や遣手、姉女郎が手取り足取りで伝授したといいます。
身体検査:楼主による見極め
女性の性器の付いている場所も大事とされ、これは楼主(妓楼の主人)により検査されました。
妓楼に買われた少女は、立小便をするような格好で着物の裾をめくらされ、妓楼の主人に局部を観察され、性器から肛門まで間の長さを測定されました。
名器の条件のひとつは「上付き」であることでした。最も優れた性器は「上品(じょうぼん)」と呼ばれ、この間の長さが2寸5分(約8 cm)ほど離れている、上付きの女性器が最高ランクとされました。これは男が腰を落とさずに容易に深く挿入でき、男にとって快適なためでした。中級は「中品(ちゅうぼん)」、下級の「下品(げぼん)」は、2寸5分未満の下付きで正常位での挿入が難しく、後ろからの挿入になってしまうため、遊女としての成功は難しいとされました。そして、少女を横にして自分の男根を浅く挿入して抜き差しを行って鑑定したといいます。
また艶本「和合淫質禄」(文政8年(1825年))には、極上の玉門(女性器の入口)の内部には、「玉英」と呼ばれる玉があるといい、上品の女性器の内部には3つの玉があり、それぞれ「せん玉、ほう玉、ひょう玉」という名称がありました。内部に玉が多い女性器は性交中の愛液の分泌が多くて男には快感で、男を健康にして寿命を延ばす薬のようなものであると書かれています。逆に下品の女性だと、内部の玉が少なく付いている場所も良くないため、男の快感が薄く、寿命を吸い取られるなどといった記述があります。

下半身のケア
客を虜にするには下半身のケアも欠かせません。陰毛は、毛抜きを使用したり、線香で焼き切ったりして除毛しておく風習がありました。行為の時に男の亀頭を傷つけてしまうたかもしれないこと、また当時はシラミを持っている人が多く、毛じらみを防ぐためでもあったといいます。
性器から異臭がしたら、細かく刻んだ干し大根を膣に入れておいて排尿の度に交換しました。一ヶ月もすればにおいが消えたといいます。
黒ずみに関しては、クチナシの実を粉状にして膣に入れてごまかしたといいます。
女性器の締まりが悪い場合は、大陰唇や足の付け根にお灸をすえたといわれています。
床上手:男を夢中にさせるテクニック
客を引き込み夢中にさせるため、遊女たちは床上手になるよう仕込まれました。たとえ美女でなかったとしても、床上手ならば客が付きやすくなるため、床上手であることは重要視されていました。
例えば、肛門を締めることで膣を締めたり、布海苔を温めると粘性を持つため、これを陰部にコッソリと塗り付ける、膣内に柔らかくした高野豆腐を入れて男性器を締め付けるなどの方法があったそうです。
また遊女というと、床着(寝巻き)を脱がずに着たまま行為を行っている、というイメージが春画などを通してありますが、遊女の心得を書いた「遊女大学」(文化4年、1807年)には、普段は床着を脱がないが「我を忘れたように全裸になれば、客が自分にだけ見せてくれたと思って歓喜する」とあり、床着を脱ぐことにより、特別感を演出することがありました。
ただし、当時は室内を暖める暖房はなかったため、全裸になるのは夏だけで、冬に全裸になることはなかったと思われます。
不感症と演技
妓楼は男を夢中にさせるような性技を仕込む一方で、「感じるのは遊女の恥」と教え込みました。
遊女にとって客との性行為は仕事であり、一日に何人もの男を相手にしなくてはなりません。客との行為で本気で感じていたら疲れてしまう。そこで心理的に不感症にさせました。もともと不感症の女性は好まれたといいます。また絶頂を迎えることを「気を遣る」といい、気を遣ると妊娠してしまうと信じられていたともいいます。そのため、つい感じそうになったらそれをやり過ごしていたといいます。
ただし、行為中に遊女が顔色一つ変えなければ客の男も白けてしまいます。そのため、「息遣いを荒くして、両手で男を締め付け、髪を振り乱して啼く」ような、おおいに感じているふりをして男の興奮をさそう演技をしていました。
特に演技の中でも効果的だったのが「よがり声」をあげることでした。派手によがり声をあげる遊女は人気になり、客は自分が遊女をいかせたと思い込んでうぬぼれたといいいます。
また割床(大部屋)は屏風で仕切っただけのため、隣の遊女のよがり声は筒抜けです。そのため隣の寝床で遊女が大きなよがり声を上げていれば、客は自分もと対抗意識で頑張ったでしょう。
手紙:営業ツール
身分の高い武士や豪商、文化人などお金持ちの上客をとりこにするには、美貌だけではなく教養も必要でした。そのため、妓楼は遊女にいろいろな教養をつけさせ、商品価値を高めようとしました。とくに幼い頃に売られてきた禿には手習いをさせて読み書きができるようにしました。というのも当時は手紙が重要な営業手段であったためでした。
「色道大鏡」においても、遊女は手紙が必要であると書かれており、遊女たちの手紙に使われる仮名遣いや言い回しの誤りなどの言葉の間違いやより優雅な言葉遣い、手紙に用いる紙の種類まで指導しています。
客の心をつなぎとめるために、遊女は丁寧な手紙を送りました。自分の気持ちを詠った和歌や、漢詩を書く遊女もいたとのことで教養の高さが伺えます。
また遊女は何かと物入りであり、花魁ともなる自分の使用する物品だけでなく、妹分の面倒も見なければならないため、お金を無心することもありました。そのため、遊女から手紙が来ると、客は取り立てでも来たかのように真っ青になったといいます。それでも惚れた弱みでお金を出す男もいたでしょう。

手練手管:嘘と信実
効果的な嘘のつき方も手練手管のひとつであり、先輩の遊女が若い遊女に手練手管の数々を伝授したといいます。たとえば会話の中での「真に惚れたのはあなただけ」や行為後の「あなたとの行為で初めて絶頂を感じた」などという言葉を効果的に用いました。
とはいえ「傾城に誠(まこと)なし」(傾城とは遊女のこと)のように、遊女の言葉を信じてはならない、という訓戒や「女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月が出る」(四角い卵がないように遊女の言葉に真実がない)などと揶揄する唄もあり、「遊女は嘘をつくもので、客の男は騙されるのを覚悟で遊びましょう」というのが、この遊びにおける「粋」というものだったのでしょう。
そこで、遊女は自分の言っていることが「信実」であるということを伝えるために下記のようにさまざまな手段をとりました。
- 起請文:由緒ある神社が発行する厄除けの護符に、「夫婦になったからには決して心変わりしない。そうでなければ神々から罰を受けましょう」という意味合いの言葉を記し、文章の最後に、遊女と客の血判を押して取り交わしたといいます。
- 戯作「青楼女庭訓」には遊女が起請文を書くときにはコツがあり、義理の起請文にはわざと字を間違えて書き、本気の起請文には正しい字を書くというものでした。これは義理の場合は書き間違いがあるため、約束を破っても罰を受けない、という理屈でした。
- 髪の毛:「髪は女の命」と言うように、女性にとって非常に大切なもの。美しい髪は「かつら」として使用できるため貴重なものでしたが、髪にボリュームをもたせる「かもじ」の部分であったり、他の人から入手した物が多かったといいます。
- 爪:指から爪を剥いで客に渡し、思いの丈を訴えるものでした。爪がはげたり割れたりすのはとても痛く、その痛みを誓いの証としたと考えられます。妹分に頼んで彼女の爪を伸ばさせ、それを切って渡したり、死人から抜いた爪を扱う業者から買って渡すなどの抜け道がありました。
- 彫り物(入れ墨):彫り物は、遊女が心変わりしない証拠として、客の名を「◯◯命」などと二の腕に入れ墨したといいます。ただし、別れてしまって新たな男に信実を示そうとすれば、前の彫り物は灸をすえて焼き消さなくてはならず、やけど痕がのこります。
- 指切り:小指の第一関節から先を切断してそれを客に渡しましたといいますが、これは下記の理由から、創作であったのではといわれています。
- 遊女は妓楼の大事な商品のため、傷物になることを楼主や遣手が許すはずもなく、もしそうなりそうなら遣手や若い者が監視していははず。
- 普通の男が、信実の証として指を切断することを求めるのかということ。惚れているのならなおさら傷物になることを望むはずがない。
- 指切りの場面が多くの戯作に登場するが、多くは直前になって「お前の気持ちはわかった」と、男が止めに入って大団円となること。
まとめ
吉原遊廓の遊女たちは、容姿だけでなく、受け継がれた高い技術や手練手管の数々で客を魅了しました。彼女たちの手練手管は、現代にも通じる心理戦であり、人間関係を考えるヒントにもなるかもしれません。